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競馬の一口馬主を回収率重視で続けていく初心者向けブログ。府中でベコ買うだ!
2018/11«│ 2018/12| 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 »2019/01
11:22:42
夕暮れのホテル敷地をブラブラ散歩していると、これから無料のカクテルパーティをやるから来てね!の案内が。

フラダンスというか、ラグビーのハカ(ウォークライ)みたいな感じの戦士の踊りを見たり、ココナッツジュースをもらったり、ココナッツの刺身(醤油をつけて食べる・・・)を食べたりと楽しみました。

ちなみにココナッツの刺身は少し甘い大根って感じ。ツマです。

DSCN5365.jpg


その後、夕食を済ませてちょっとビーチを歩きながら部屋に戻ろうと思い、プールサイドへ行くとホテルの従業員が声を掛けてきました。

ちなみにパラオ人は英語と現地語しか話せません。宿泊したPPRでも日本人スタッフはわずかでした。
そして、残念ながら私の英語力は中学生レベルなので簡単なコミュニケーションしか理解出来ませんが、まあなんとかなるものです。


「今、暇かい?」
「暇だよ。ビーチに行こうかと。」
「じゃあ、こっちに来て。星がよく見えるから!」

というと、バスタオルをビーチのサマーベッドに引いてくれました。

「ありがとう。・・・・・。おお~、すごい星の量。」

明るいホテルエリアとは一転、ビーチは暗く星がよく見えます。

「え、何。すごい見えるね。これ。天の川じゃん。」
「今、ニュームーンだからね!ミルキーウェイに、ミナミジュウジセイ(日本語)も見えるよ!」
「(ニュームーン?・・・あ~新月か。月が無いから暗い分、星が見えるのか。)」


・・・!
ピンと閃く私。
そういえば、夜のカヤックツアーがあったな。
ナイトカヤックという名称で、夜光虫を見るのがメインイベント。
星のことはあまり頭にありませんでしたが、新月で陸から離れた海上ともなればビーチよりもっと暗いだろうし、星がさらに見えるだろう。



明日は、最終日に何をするのか決めて申し込みしないといけないので、悩む私。





なぜなら、第二次世界大戦の激戦地ペリリュー島の観光ツアーに申込むつもりだったからです。
ペリリュー島は天皇皇后両陛下も慰問に来た地。
今もゼロ戦や砦がそのまま残されているのです。

パラオ政府はこれらを修繕、保全して観光地として守る気がない(理由は不明)ので、博物館化されていません。
このまま朽ちて私が年をとった頃には残っていないかも知れません。

パラオを選んだのには、こういう激戦地跡を実際に見ておきたい気持ちもあったからです。



そのきっかけは2ちゃんねるで有名なコピペでこんな話を見て。





毎日新聞コラムにこんな話が載った。
 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

 やがて戦況は日本に不利となり、
 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
 日本の守備隊長・中川州男大佐のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
 

 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。

 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

 その瞬間、彼は悟ったという。
 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。



日本軍はパラオの小さな島・ペリリュー島の 人々を“圧倒的不利な戦局”に
巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民899名全員を
パラオ本島に避難させたのである。

日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という
歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を
出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。

最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。

最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。

戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の
亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと
ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して
作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。








言語でも日本統治時代の名残で、今も残る日本語は多いです。

2014年の調査『パラオ語で使われている日本語起源借用語』(ダニエル・ロング氏、斎藤敬太氏、Masaharu Tmodrang氏による)から『現代で若年層も使う言葉』に限定して引用します。

若者が使うと言うのは、要は年寄りが使う古い言葉ではなく、完全に現代の国民に馴染んだ日本語達ですから、パラオ中で通じる日本語ですね。
冒頭で述べた通り、パラオ人に日本語は通じませんが、単語でこれだけ通じるギャップは不思議です。


ちなみに意味が変わってしまった物も除外しています。
例えばパラオでは
”あんぜん”=T字カミソリ
だそう。元々、安全カミソリという名前だったのが略されて、大事な”カミソリ”側が消えてしまったようです(笑)



・空いてる
・開ける
・握手
・未練
・頭
・当たり前
・罰金
・絆創膏
・望遠鏡
・いじめる
・駄目
・段取り
・伝票
・泥棒
・土台
・栄養分
・えくぼ
・襟
・布団
・流行り
・配線
・配達
・博士
・はげ
・柱
・判決
・予算案
・いくら(価格)
・忙しい
・溶接
・一列
・株
・カビ
・確実
・経験
・憲法
・げんこつ
・工場
・合格
・ゴミ捨て場
・答え
・降参
・苦しい
・面倒くさい
・しわ
・既に
・水道
・吸い込む
・退院
・大漁
・隣
・疲れる
・運
・運転
・運動会
・恨む
・試す
・知らない
・紹介
・試合


などなど・・・。
以前の記事で述べたように、パラオの歴史は属国の歴史であり、その中で日本が唯一教育を施し、インフラの整備しました。
そういう文化の礎を築いたからか、パラオ人の気質は日本人と似ています。
シャイで礼儀正しく、一般的にイメージする直近のアメリカ統治下に入った国とは違う気がします。


感情、生活、政治、学問など様々な場での言葉が残されているのが分かりますよね。
判決、憲法、予算案、配線、水道・・・こうした言葉が普及しているのが、単なる奴隷支配ではなく”まともな教育”と”近代国家の整備”を行った何よりの証です。

日本統治を正当化まではしませんが、奴隷化された植民地を目指していたわけでは無いのは明らかですし、現代に繋がる基礎を築いたのは事実でしょう。教育の重要性がよく分かります。





・・・そんな先人達の思いを考えると、残された一日で是非ペリリュー島は見ておきたい。
ベッドに寝そべり、天を見上げる私。

今こうして日本を離れて、遠い異国の地で見ている満天の星空をかつてパラオで散った日本兵達も見たのであろうか・・・。

切ない感情が湧いてきます。

そして決心する私。


WS000144.jpg





そう、最終日はナイトカヤックに行こうと・・・!




えぇ・・・(´・ω・`;)

つづく
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16:35:16
さて随分間が空いてしまいましたが、パラオ旅行の続き。
現地3日目。
本日は再びロックアイランドへ向かいます。


パラオ旅行その1は コチラ


違うのは船で行けるロックアイランドの外洋から内部の浅瀬にカヌーで行くこと。
船にカヌーを積んで現地到着後、軽くレクチャーを受けます。

初カヌーでしたが、簡単ですね。
過去に川でラフティング(ゴムボートの川下り)はやったことがありますが、川のように流れがないので比べると大分楽です。

2126.jpg

ちなみに参加者は我々二人のみ。
うーん。悪い気がします。
往復1時間の船の燃料代も掛かって、船頭のインストラクターもいるし、スタッフ計3名だったかな。
単体だと赤かな?

『ベラウツアー』という会社のツアーはほぼ全ての日で利用しました。
スタッフも非常に親切で日本的なおもてなしをしてくれるので、安心ですよ。


そんな貸し切り状態で、インストラクターは日本人女性ということで、存分に解説を受けながら進みます。
写真を見てわかるように、波は全くありません。

池のようです。
ロックアイランドはきのこのような小さな島が無数に集まっているのですが、どうやら汽水(真水と海水の混ざったもの)ですここは。
というのも、そのきのこのような島ではジョボジョボと滝から水が降りてくるのです。

山状にはなっていますが、せいぜい海抜20m程度だと思います。
そこから水が降りてくる不思議。どこに水を貯め込んでいるのやら。



現在は見学出来ない、ジェリーフィッシュレイクにいるはずのクラゲを見る事が出来ましたし、その水と海水のシビアで難しいバランスで成り立っている環境が、ジェリーフィッシュレイクの神秘性なのかも知れません。

2095.jpg

写真には写っていませんがマングローブも生息しており、ジャングルとパラオの青い海を同時に楽しめる、なんともミスマッチな不思議な空間。

半日楽しんで、終わりにレストランまで船で移動。
港に到着するとそこがレストランになっていました。
船から降りて、そのままランチです。


「ここは天皇皇后両陛下もいらしたレストランですよ。」

とのこと。
へー。失礼ながらいわゆる高級レストランではありませんが、味は確かなのは間違いないでしょう。

実際美味しかったです。
ランチでは他のツアーとも合流。
一人旅をしているお姉さんと泊っているホテルの話になり、話題は増殖している中国人に。

「ホント、うるさいですよね~(笑)」

という、天気の話くらい定番の騒音問題。

「私のホテル、中国資本だったみたいで、NHKは映らないのに、中国のテレビは映るんです・・・。」

と肩を落としていました。
当然、宿泊客は中国人ばかり。
ホテルの環境はお察し。


海外旅行に行くとき、誰が経営しているかは結構重要な要素なので、皆さんも事前に調べるようにして下さい。

こんなに中国人の文句を書いていると、私が反中の為に記事を書いていると思われそうで心外ですが、思想抜きのフラットに考えても、現実として「酷い」としか言いようがないのです。

町中で騒ぎまくり、自然を破壊し(信じられないが、そういう事をするそうです。)、パラオの環境を悪化させたことから、かなり問題になっています。
実際、パラオ政府は中国からの航空便を半分に制限する措置をしていることから、その深刻さがお分かりになるでしょう。

パラオの海の底に眠っている太平洋戦争時代の日本の軍用艦を中国人ダイバーが中国国旗で覆って記念撮影するなど、戦争の傷跡で感傷的になる日本人の神経を逆なでし、わざわざ第三国でそこまでするのかという信じられない行為もニュースになっています。






ホテルに戻り、午後はオフ。
ホテルのビーチでのんびりすることに。
ここまで、夜中の到着から丸一日のツアーなどで疲労も蓄積しており、嫁がごねた為、午後はキャンセル(笑)


ビーチと部屋を往復し休みながら過ごします。


2023.jpg
(これが天使の羽や、ハートに見えたらあなたのインスタ女子力は中々。私は全く気づきませんでした。)




ビーチもひと段落。ちょっとホテルを回ります。
敷地がどの位なのか正確には分かりませんが、広いです(適当)。

というのもこのホテルは2階建てと低層。
当然、部屋数が稼げないので、広い敷地が必要になります。

私の父がパラオパシフィックリゾートの建設に少しだけ携わったそうで、オーナーである東急の

「ヤシの木よりも高い建物は作らない。」

というコンセプトで作られたのだそう。




それだけパラオの魅力は豊かな自然であり、いくらリゾート開発をするとはいえ、それを邪魔してはいけないという日本人の美意識なのでしょう。
その話を父から聞いて、迷わずこのホテルに決めましたね。


どの国でもコロニーをつくり、毒々しい赤や青や金のカラーの建物や門を建ててしまい、その国の文化に馴染もうとしない、どこかの誰かさん達も見習ってほしいものですし、そういうやり方をするので、経済的侵略におびえて航空便を半減させられるのも納得でしょう。


DSCN5260 - コピー

海が目の前の部屋は高かったので、庭側が我々の部屋。
ただ、こちらも中々趣があります。
広い芝生と池があり、エイやウミガメが泳いでいます。
餌やりタイムもあるそうで、時間があえば来ようと思いました。


DSCN5196.jpg


夕日を見に再びビーチへ。空気が綺麗だからなのか、日本とは全く違う夕日。
海が青いからそれを反射する空の色がそもそも綺麗なのでしょうか?

良く分からないですが、リゾートの気分だけの問題ではないのは確か。




旅もようやく折り返し。
まだまだ、やることはたくさんあります。


つづく

19:51:30
~随分空いてしまったので、あらすじ~


パラオの無人島にて、波際でのんびりとした時間を過ごしていると…


パラオ旅行その1は コチラ



波の音と鳥の声に耳を傾けていると、1艘のボートが近づいてきます。
そのボートからはやかましく騒ぐ声が。

「な、なんだ!?海賊の襲撃か!?」

瞑っていた目を開き、騒ぎ声のするボートへ目を向けます。
すると、中国人の団体がこちらへとやってきてしまいました。

「ワーワーギャーギャー!! ホアジャン チンジャオロースー!!! 」


「えぇ…」
騒ぎまくる中国人に唖然、呆然の日本人ツアー客。

同じツアーの人にあとから聞いたところ、彼らカップルは東屋で弁当を食べていると、中国人が周りをわざと取り囲んでそこに居座り、東屋から追い出されたそうです。


日本人そして、日本国内ではにわかに信じられない行為なんですが、こういう恫喝じみたことを恥と思わないんですよね、彼らは・・・。
集団になると本当にタチが悪いです。


DSCN5080.jpg


話を戻して、この島の目の前にあるのがイノキアイランド。
元プロレスラーアントニオの猪木氏がパラオの知名度が低い時代からトレーニングと称したバカンスを楽しんでいたことから、島の所有者が名付けたそうで、特にアントニオ猪木氏の持ち物ではありません。


「猪木、無人島で過酷トレーニング!」と銘打って、修行する様子を確かに子供時代、テレビで見た事がありました。
こんな青い海の時点で過酷じゃないぞ・・・とツッコミながらも、この人の現役時代から中東や北朝鮮など国際的に未開の地で試合をしたり、モハメド・アリとプロレスではなく、ガチで勝負をするなど
『ひとの行かない道に飛び込む勇気』
は尊敬に値しますね。
プロレスはショーではありますが、彼は本物のファイターであったと思います。
ただ、それが政治となってくると色々と思う所はありますが・・・。


が、この夜、現地の方から「猪木さんはいつもこのホテル(PPR)で同じ部屋に泊まっていたんですよ~。」という話を聞き、全くトレーニングしていない単なるバカンスであることを確信するのでありました(笑)





さて、午後もイベント目白押し。
まずは、ロングビーチに向かいます。

ロングビーチとは島ではなく、海上に浮かんでくる砂浜のことで、遠浅の海が潮の満ち引きで出現したり、消えたりする神秘的な場所。

DSCN5163.jpg


この日は綺麗に見ることが出来ました。
三日月形に出現した砂浜。
当然ですが、通常ビーチは片側だけに出現するわけですが、両側が浜というのは不思議な気分で、道のようになっています。

インスタ映えに命を捧げる女子が失禁ジョジョジョ~!の撮影スポットですね。




そして、続いてはジャーマンチャネルへと向かいます。
その名の通り、ドイツ軍が造った水路のこと。

ジャーマンチャネル周辺は波が荒い日が多い為、波の影響を少なくして船の航行が楽になるようにと、岩などで囲った水路を作ったそうです。


1913.jpg

奥に岩を積んだ道があるのがお分かりになるはず。
反対側は写真の右側にあり、水路になっているのです。
宝石のような青色です。もちろん、色の加工等は一切していません。


素朴な疑問として「なぜドイツが?」
ということで、パラオの歴史を簡単に学びましょう。



パラオには16世紀にスペインが上陸し、インドの一部ということで支配。
激しい搾取や彼らが持ち込んだ疫病で、パラオの人口は僅か10%にまで減った暗黒期だった模様。

19世紀末になると、スペインは衰退し、変わって台頭するドイツへパラオを売却。
ドイツもスペイン同様に彼らからは搾取をするのみで、20世紀になっても紙幣、教育、インフラなどをパラオの為に整備することはなかったとのこと。

1914年に第一次世界大戦でドイツに宣戦布告した日本がパラオを占領。
パリ講和会議で正式に日本の植民地としてパラオを支配しました。


日本は他の植民地に施したのと同様、パラオに学校、病院、道路などインフラを整備し、またパリ講和条約に基づいて軍事施設は作りませんでした。

ドイツ統治時代とは打って変わり、日本人が大量に移民。昭和18年の統計では日本人25000人、パラオ人6500人ほどだったそうです。


戦後はアメリカが統治し、反日教育を叩き込みましたが、日本統治時代の教育は相当に”まとも”だったようで(日本本国に関しても、GHQが日本人の識字率などを調べた際に驚愕するほど高度で、あからさまな洗脳は不可能と諦めた話もあります。)、パラオ人の洗脳は失敗しました。

破壊された神社が再度建立されたり、パラオ独立の際に国旗が著しく日本の日の丸と酷似していることからも、現在も親日国であることが窺えます。(日の丸モチーフには諸説ありますが、日本嫌いなら似ているデザインは選ばないでしょう。)





このような歴史背景から、言語は英語が公用語ながら、スペイン語、ドイツ語、日本語が多く残っているそうです。
日本語に関しては教育の影響か、特に多く残っているのでまた後の記事で述べたいと思います。





この後、さらにシュノーケル2回目。
さすがに昨日深夜便で来たからか、あまり寝ていないこともあり、疲れてきました。

それは皆同じようで、帰りの船ではぐったり。
結構高速ボートで寝てしまう参加者も多々いました。

逆に私は変わりゆく景色が楽しくて、船に乗ってからはぴんぴん。カメラ小僧状態。

DSCN5177.jpg

今回の記事の写真でもお分かりになると思いますが、パラオの海の色は本当に様々。
既存の日本語だけでは表現出来ない色もあり、奥深いです。

最初の記事で「海しかない国」と述べましたが、その海が本当に飽きさせない魅力を持っています。




帰りは船でホテルまで送ってくれる模様。
楽ちんです。

DSCN5420.jpg

パラオパシフィックリゾートにも小さな港があります。
帰ってすぐに部屋でバタンキュー。
ホテルの様子も楽しみたいのですが、それはまた翌日にすることにしましょう。



つづく


18:36:27
パラオ旅行1はコチラ





パラオで迎えた初めての朝。
ホテル内のツアーデスクで今日の目的地ロックアイランドへ向かう手続きをします。

ツアー会社に払うのとは別に通行許可証として50USドルを支払いました。これはパラオ政府に納められるもので、観光が主な産業であるパラオの財政を支えているお金。

ロックアイランドは世界遺産にも登録されているパラオを象徴するものですから仕方ないですね。

ロックアイランドのツアー自体は1日で85〜95USドルほどだったと思います。




まずはホテルに送迎バスが来ます。
乗り込むとパラオロイヤルリゾートというパラオで2番目のグレードのホテルへと向かいます。

大体15分程の道のり。
昨日は暗くてわからなかったのですが、パラオは小さな島国だけあって、小さな島々を結ぶ橋が多いです。


そして気づいたのは、他の道はデコボコでザラザラ、さらにはところどころ向けている質の悪いアスファルトだらけなのですが、橋だけ日本と同じ滑らかな感触で、お尻に響きません。

んん?と思い、よく見れば、橋には必ず日本の国旗が控えめに埋め込まれていました。

感覚的には20年前位に作られたものでしょうか。
日本企業、政府によって造られたであろう橋を渡りパラオロイヤルリゾートへ到着。



このホテルには港が大変充実しており、ここから、各ツアーのボートが出ているようです。
ロックアイランド以外にも様々な場所へ行くツアーの起点の模様。

DSCN5048.jpg



ついにパラオの海に繰り出します。
ボートは屋根はありますが、屋外のみで、トップスピードになると衣服や荷物が飛んでしまう速さ。

5分もすると鮮やかな青色の海が広がります。
そして15分ほどでロックアイランドの領域へ。

まだまだ目的地までは距離があるようですが、ロックアイランドはかなりの広域に渡って点在している模様。


ちなみにロックアイランドという2歳馬が中央にいるので、見かけたら応援してあげて下さい(笑)

ロックアイランドは土の島ではなく、珊瑚の死骸が堆積して出来たもので、下部は波で削れてキノコのような姿をしています。

そんなロックアイランドの間をすり抜けて、最初の目的地、ミルキーウェイに到着。


DSCN5059.jpg



泥パックで有名なスポットで、理由は全くわかりませんが、浅い海底に泥が山盛りになっており、美肌効果があるそうです。

海の色も泥のせいで不思議なエメラルドグリーン。透明度はもちろんゼロです。

泥は匂いを嗅ぐと、硫黄の香りがします。
温泉の「湯の花」と似たような感じですかね。


泥の中には貝殻や珊瑚のカスが混ざっているので、塗るとザラザラして気持ち悪かったです。

インストラクターがバケツで海底に潜り(もちろん足が付かない深さです。)、泥を持ってきてくれます。
美肌に興味の無い私に塗りたくり、自分は腕と脚だけに塗る嫁。
ゴリゴリするので、自分でやらないと結構肌が痛いです。


DSCN5070.jpg



この後はロックアイランドの開けた海でシュノーケリング。
カラフルな珊瑚と魚達を眺めながら、ゆっくりと先導するインストラクターについて行きます。

私は泳ぎが得意なのですが、嫁は泳げないので、シュノーケルを使うことに集中出来ないようで、大量に水を飲んで「ゴバゴバブフ!」と漫画のようでした。





さて泳ぎ疲れて昼食タイム。
無人島に上陸すると、東屋がいくつもあり、キャンプ場のような雰囲気。

島自体が森のようになっており日陰も多かったです。
ランチはなんだろうなと思っていると、日本の漆器風の入れ物のよく見る弁当が配られました。

古い油を使った薄いトンカツとコンニャクの煮物がなぜかメイン級に大量に入っていました。

まあ美味しくはなかったですが、午後にもシュノーケリングがあるので栄養補給せねば。



するとハエが寄ってきました。
ええい!と払うも常時5匹くらいに狙われるので、早々に諦めてハエと一緒にごはんをつつきました。
気分はよく無いですが、仕方ないですからね。

嫁は弁当にハエが付くのが気になるようで、蓋を閉めながらご飯を摘んでいました。


さて食事が終わると嫁はトイレへ。
私は「海の中でジョジョーと済ませるよ」と宣言すると、「ええ…」と軽蔑のまなざし。
プールならマナー違反ですが、海ですからね。


ちなみに予想通りトイレ内は、信じられない汚さだった模様で、嫁は「とてもじゃないけど、用を足せない…」と逃げ帰ってきました。

「ハッハッハ。ざまあないね、せいぜい膀胱パンパンにするんだな!!!」
嫁を見ながら私は勝ち誇った恍惚の表情でジョジョーー!

こまけえことは良いんだよ!
の精神が大自然では大切。
ちなみにこのツアーは朝出て夕方帰るので、トイレに行かない(用を足さない)という選択肢はありません。




食事が終わると、そのまま島内でフリータイム。
綺麗な海の写真を撮りながらのんびり…。

DSCN5089.jpg


同じツアーの人と仲良くなり、お互いハネムーンで来たこと、翌日以降の予定を話したりしました。
「(激戦地だった)ペリリュー島にも行くんですか?私はまだ迷っているんですよね、他のツアーも行きたくて・・・。」

そんな穏やかながら、楽しい気持ちで波打ち際ですごしていると、それをぶち壊す”あの”一団がこの島へとやってきたのでした…


つづく


18:43:03
新婚旅行でパラオに行って参りました。
パラオへの直行便は成田から週に2便のみで、5泊、6泊かの選択肢しかありません。
ならば、こういう時に行っておこうと思い、旅行先に選びました。

本当は式とセットならばハワイ辺りが適切だったのですが…。

なぜ、パラオを選んだのかについては他にも色々と理由があり、旅の記録の中で語っていこうと思います。


今回の旅行記は詳しく書いていくつもりです。
なぜなら、意識低い系の私をもってして、皆さんにも是非1度行って見て欲しい…そんな気持ちになるほど素晴らしい場所だったからです。

一口馬主ブログらしくない内容になりますが、読んで貰えたら幸いです。


ちなみにこの旅、5月末の話です。




パラオ共和国の基本データ。
場所はグアム、サイパンとフィリピンの間ほどにある小さな国。
主な産業は観光。
太平洋戦争時、日本が統治していた時代があります。

img_2.jpg


まずは初日、夜の便で成田をたち、現地パラオへ向かいます。
所要時間は4時間半。
グアム、サイパンにプラス1時間ほどといった所。

地図的にはフィリピンの横ですね。
小さくてつぶれてしまいましたが、右上がグアムサイパン。





現地のコロール空港に到着すると、とてもこじんまりしており、グアム、サイパンのような規模では全くなかったです。

そして遊園地の南極体験ばりにキンキンに冷房が効いており、サモア系特有のデブがほとんどのパラオ人の温度感覚を知りました。

まずは入国審査。海外の空港の受付は総じて、塩対応。
無愛想だったり、高圧的だったりということがほとんど。

サイパンに行った時は小さな若い女性が「ンンンネクスッッ!!!」(ネクスト)と、囚人を扱うような物言いに悲しくなりました。
(´•ω•`)ナンデ怒ルン…?



で、そんな空港職員に試しておきたかったのが、パラオ語の挨拶。
現地の公用語は英語ですが、現地語の挨拶は旅の必須。
Wikipediaに載っていた挨拶を試します。

コズン「アリー↓」(こんにちは)
職員「ア、リー↑」

ふむ。なるほど。微かに区切って、語尾を上げて終わる感じね…。
と、正しいっぽい発音を覚えました。
おはよう↓も、おはよう↑もどっちでも良いわけで、気にする必要は無いんでしょうが、脳内再生は今も彼の発音で、そう覚えてしまいました。





こじんまりした空港を出てバスでホテルまで向かいます。
バスに乗るため、空港のドアを出ると、すさまじい蒸し暑さ。
ハワイのカラッとしたあの感じとは真逆ですし、日本よりも湿度が高いです。


そして道路はかなり状態が悪く、道は暗く、アスファルトがボロボロ。

ボロボロじゃないところも小石が入ったアスファルトのようで、走るとガタガタと揺れ、お尻に響きます。

太平洋戦争後、アメリカの統治下だった割に道幅は狭く、もしかしたら日本統治時代に道の基礎が出来ていたのかも知れません。


車中の説明で「ここがこの国一番の繁華街」と言われた地区でも、かなりド田舎で、グアムのような買い物を楽しむ場所ではないようです。

また、その地域に多分パラオで唯一の裁判所があったのですが、日本統治下で建設されたようで今も現役。

地震は少なそうですが、高温多湿であまりメンテしていないであろう環境にもかかわらず現存しているのは、当時の日本の技術力の高さを現しています。




ちなみにJTBツアーのパンフレットの表紙はこれ。大抵のパラオを紹介する媒体のトップもこの場所です。


img_main_visual.jpg


ロックアイランドというサンゴ礁の島々の集まりで、世界遺産に登録されています。
何を見てもこれということは、逆に言えばこの国には海しかないのです。
そこが良いところなんですけどね。


ホテルに到着し、チェックインすると夜中の2時。
ちなみにパラオは四国の直下なので時差はありません。
確か日本の標準時間は明石が基準だから時差無しなのでしょう。

以前サイパンに行った時は時差1時間でしたが、サイパンは北海道の知床の直下です。


私が泊まったホテルはパラオパシフィックリゾート(通称PPR)。
パラオで最も高いホテルです。
最も高いといっても、リッツカールトンのような5つ星ホテル級のハイグレードな施設ではありません。
”パラオでは”1番なだけです。


翌日…というか数時間したら海に行かねばならないので、すぐに就寝。






朝、起きて天気を確認すると、小雨・・・。
ええ・・・。台無しなんけ・・・。

とりあえずふて寝して、朝食の7時まで二度寝。

もう一度起床し、レストランに向かいます。

DSCN5045.jpg


晴れたーー!!
亜熱帯な天気なのですぐに変わるようです。

朝ですが、前日の飛行機酔いが怖かったので、腹ペコの状態。
幸い食事はどれも美味しかったです。


和洋折衷なんでもあり、味噌汁、納豆などもありました。
モリモリ食べて、今日は上記のロックアイランドへ向かいます。


つづく

【一口近況】
アーモンドアイが三冠を達成しました。まだまだ夢は続く模様ですが、一向に新規出資が叶わず持ち馬減少の危機。 労力に見合わないガッカリ感に再び冷めた気持ちがあります。
【BAR】
「いらっしゃいませ~」 
コズン:牡30代(神奈川在厩)
一口馬主6年目。重賞勝ち(達成)、名付け親、口取り(達成)を目標に始めました。最終目標はG1制覇(達成)。

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ルグランパントル セン
父:マツリダゴッホ
6歳・準オープン
募集金額:1400万円
獲得賞金:7176万円

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ブラックジェイド 牡
父:スペシャルウィーク
4歳・1000万下
募集金額:2560万円
獲得賞金:4655万円

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ホウロクダマ 牡
父:ショウナンカンプ
4歳・1000万下
募集金額:1040万円
獲得賞金:1675万円

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ジョウノファミリーの16 牝
父:ブラックタイド
2歳・未出走
募集金額:1600万円
獲得賞金:0万円

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グラウシュトラール 牡
父:スウェプトオーヴァーボード
2歳・未出走
募集金額:1000万円
獲得賞金:0万円

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エルズリー 牝
父:Graydar
2歳・未出走
募集金額:2200万円
獲得賞金:0万円

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シルクホースクラブ
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アーモンドアイ  牝
父:ロードカナロア
3歳・オープン
募集金額:3000万円
獲得賞金:7億2022万円

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ストロングタイタン 牡
父:Regal Ransom
5歳・古馬オープン
募集金額:4000万円
獲得賞金:1億3785万円

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ソーディヴァイン 牝
父:キンシャサノキセキ
5歳・1000万下
募集金額:1600万円
獲得賞金:5835万円

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セカンドエフォート 牡
父:ワイルドラッシュ
5歳・500万下
募集金額:4000万円
獲得賞金:1557万円

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グラドゥアーレ  牡
父:ダノンシャンティ
4歳・500万下
募集金額:1800万円
獲得賞金:2172万円

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ヴィグラスファイア  牡
父:サウスヴィグラス
3歳・500万下
募集金額:2000万円
獲得賞金:910万円

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マイヨブラン  牡
父:ヨハネスブルグ
2歳・未出走
募集金額:2800万円
獲得賞金:0万円

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ヴィクトリアピース
父:ヴィクトワールピサ
2歳・オープン
募集金額:1800万円
獲得賞金:700万円

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