2017/05/23
11:44:00
以前に書いた記事
『ヒトの遺伝子を選別するデザイナーベビーと競走馬のニックス』
をご覧になっていない方は、そちらからお読みいただいた方が楽しめるはずです。
1997年公開のジュードロウ、ユマサーマンらが出演の映画「ガタカ」の中で「差別は科学の領域」という名言があります。
ガタカの世界は近未来の地球が舞台で、科学の進歩により人々の出産は遺伝子選別で事前に内臓疾患、心身の障害、近眼から薄毛までありとあらゆるマイナス要素を取り除くことが出来るようになっています。
ですから生まれてくる子の能力は両親の掛け合わせの中で最高のパターンというわけです。
一方、従来の自然出産で生まれた子は遺伝のランダムの中で誕生することになり、現代の人間同様、様々な遺伝子疾患を抱えることになり、遺伝子操作された子との能力差は歴然なのです。
周りが塾に通えば、自分の子も通わせたいのが親心。
また誰もが自分らが「ハズレ」を引きたくないのが人間というものです。
ガタカの時代に自然出産を選ぶのは変わり者か、金銭含め何かしらの事情がある者だけなのです。
生まれた子達は生後すぐに遺伝子検査され、病気や精神的特徴、寿命や自殺率まで数値として明らかにされます。
そして、自然出産で生まれた子は、健康面や能力面が劣る為、就学、就職において検査で門前払いをくらい、結果、単純肉体労働にしか就けないのです。
学校や企業もより優秀な人材が欲しいのは当然。
下手な面接や数時間の暗記テストよりも、遺伝子検査の方がよっぽど、信頼出来るのは確かです。
なんて不条理で差別的なのかと思いますが、遺伝子検査に基づく科学的根拠に則り判断しているわけですから、決して偏見ではないのです。
「差別は科学の領域」
とはこのことです。人ではなく、科学が差別の証明をしたのです。
ですから、この差別は悪意や信条によるものではなく”平等な差別”なのです。
また作中には「国籍ではなく血で決まる。」といった肌の色やつまらない肩書きで差別する現代よりもよっぽどマシなのだという皮肉を思わせるセリフも登場します。
さて、この話。
皆様お気づきの通り、競馬の世界そのものなのです。
血統(遺伝子)の淘汰を繰り返したサラブレッドとポニーの差は歴然。
努力で補える範疇ではありません。
その中でも優れた遺伝子を持つ者が高額で取引され、実際そうした馬達は他よりも高い確率で活躍をします。
しかし、全てが遺伝子で決まるわけではなく、努力や環境、怪我など、実際の競走馬人生の中で不確定な要素はあります。
ガタカの主人公は雑草魂で彼らエリートに立ち向かいます。
「欠点ばかりに気を取られ、自分の可能性を見失っていないか?」
と彼は言います。
これこそ、競馬の醍醐味でもあるのですが、別のシーンでは
「可能性は伸びたりしない。」
という名言も。
つまり、ブレ幅はあれど、能力に限界はあるわけで私が
「おれはいつか100mを8.0秒で走る!」
と言った所で100%実現不可能であり、1秒でも早く病院へ駆けた方がいいのです。
ガタカの主人公もサラブレッドではありませんでしたが、アラブ程度の能力は元々あったわけで、ミニチュアホースとして立ち向かったわけではありません。(能力ではなく、健康面で問題があったと述べられている。)
一口馬主でも安い馬で活躍馬を探すのが醍醐味ではありますが、その為には他の要素、つまり能力を出せる器(馬体、歩様)、環境(牧場、厩舎)、努力(気性)などで逆転出来る根拠を見つけ、出資したいですね。
ガタカの公開は1997年ですが、今、既にデザイナーベビーの実用化はすぐそこまで来ており、我々旧世代の人間としてはガタカの世界の実現を思うと怖いばかりです。
ちなみにガタカとは体を構成する重要な塩基の頭文字を繋げた造語。
Amazonプライム会員はタダで見られるので、映画好きな方はどうぞ。
『ヒトの遺伝子を選別するデザイナーベビーと競走馬のニックス』
をご覧になっていない方は、そちらからお読みいただいた方が楽しめるはずです。
1997年公開のジュードロウ、ユマサーマンらが出演の映画「ガタカ」の中で「差別は科学の領域」という名言があります。
ガタカの世界は近未来の地球が舞台で、科学の進歩により人々の出産は遺伝子選別で事前に内臓疾患、心身の障害、近眼から薄毛までありとあらゆるマイナス要素を取り除くことが出来るようになっています。
ですから生まれてくる子の能力は両親の掛け合わせの中で最高のパターンというわけです。
一方、従来の自然出産で生まれた子は遺伝のランダムの中で誕生することになり、現代の人間同様、様々な遺伝子疾患を抱えることになり、遺伝子操作された子との能力差は歴然なのです。
周りが塾に通えば、自分の子も通わせたいのが親心。
また誰もが自分らが「ハズレ」を引きたくないのが人間というものです。
ガタカの時代に自然出産を選ぶのは変わり者か、金銭含め何かしらの事情がある者だけなのです。
生まれた子達は生後すぐに遺伝子検査され、病気や精神的特徴、寿命や自殺率まで数値として明らかにされます。
そして、自然出産で生まれた子は、健康面や能力面が劣る為、就学、就職において検査で門前払いをくらい、結果、単純肉体労働にしか就けないのです。
学校や企業もより優秀な人材が欲しいのは当然。
下手な面接や数時間の暗記テストよりも、遺伝子検査の方がよっぽど、信頼出来るのは確かです。
なんて不条理で差別的なのかと思いますが、遺伝子検査に基づく科学的根拠に則り判断しているわけですから、決して偏見ではないのです。
「差別は科学の領域」
とはこのことです。人ではなく、科学が差別の証明をしたのです。
ですから、この差別は悪意や信条によるものではなく”平等な差別”なのです。
また作中には「国籍ではなく血で決まる。」といった肌の色やつまらない肩書きで差別する現代よりもよっぽどマシなのだという皮肉を思わせるセリフも登場します。
さて、この話。
皆様お気づきの通り、競馬の世界そのものなのです。
血統(遺伝子)の淘汰を繰り返したサラブレッドとポニーの差は歴然。
努力で補える範疇ではありません。
その中でも優れた遺伝子を持つ者が高額で取引され、実際そうした馬達は他よりも高い確率で活躍をします。
しかし、全てが遺伝子で決まるわけではなく、努力や環境、怪我など、実際の競走馬人生の中で不確定な要素はあります。
ガタカの主人公は雑草魂で彼らエリートに立ち向かいます。
「欠点ばかりに気を取られ、自分の可能性を見失っていないか?」
と彼は言います。
これこそ、競馬の醍醐味でもあるのですが、別のシーンでは
「可能性は伸びたりしない。」
という名言も。
つまり、ブレ幅はあれど、能力に限界はあるわけで私が
「おれはいつか100mを8.0秒で走る!」
と言った所で100%実現不可能であり、1秒でも早く病院へ駆けた方がいいのです。
ガタカの主人公もサラブレッドではありませんでしたが、アラブ程度の能力は元々あったわけで、ミニチュアホースとして立ち向かったわけではありません。(能力ではなく、健康面で問題があったと述べられている。)
一口馬主でも安い馬で活躍馬を探すのが醍醐味ではありますが、その為には他の要素、つまり能力を出せる器(馬体、歩様)、環境(牧場、厩舎)、努力(気性)などで逆転出来る根拠を見つけ、出資したいですね。
ガタカの公開は1997年ですが、今、既にデザイナーベビーの実用化はすぐそこまで来ており、我々旧世代の人間としてはガタカの世界の実現を思うと怖いばかりです。
ちなみにガタカとは体を構成する重要な塩基の頭文字を繋げた造語。
Amazonプライム会員はタダで見られるので、映画好きな方はどうぞ。
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