前回の記事はコチラ
人間の記憶というのは対人での言動は覚えていても、当時の頭の中の考えなどは曖昧な物で、恥を忍んでブログに晒して残すメリットの一つだと思っています。
まずアイリッシュギフトをなぜ選んだのかについて。
過去の記事からアイリッシュギフトの出資について述べた物を紹介します。
2013年6月18日
【2013年度デビュー】2011年産出資馬決定と募集時の評価 より引用
外国産馬らしい迫力があり、かつ均整の取れた素晴らしい馬体には、今期募集馬で唯一の一目惚れでした。
にも関わらず出資していなかったのは、昨今の『マル外』の成績不振と、欧州血統という点。
入会時に悩み却下するも、その後も恋焦がれ(?)、何人かの一口馬主・諸先輩に相談してみるも結局優柔不断で保留。
5月の近況更新の画像では1頭だけ腹回りが冬毛ボーボーで、コメントにも気性に問題があることを窺わせる文章もあり、神経質だし精神的な影響で内臓も弱そうだし、もう諦めよう・・・と最終的に決断しました。
そして6月。ボーナスが出たことで出資。(← オイッ!)
先に述べたように”印象”も一口馬主を「楽しむ上では」大事な理由だと思っていますが、この馬に関しては”印象”で決めてしまった感は否めません。冷静さを忘れて出資したかなと若干後ろめたい所はありますが、もっと冷静に考えれば一口馬主自体が”どうせ損をするもの”ですし、だったらより楽しめるような馬選びこそ正しいと言えるのでは無いでしょうか。
アイリッシュギフトの最大の欠点が『気性難』です。
人に従順でなく調教でも折り合いが上手くいかず、レースではムチを入れるとやる気を無くしたり、逆に抑えると反抗して掛かったりと『競走馬に不適合』な気性の持ち主であったことが、未勝利馬となった最もな要因だと思います。
そんな気性だと分かっていたら出資などしなかったはずですが、上の記事を見ると、実は当時から気性難について薄々感づいてはいたようです・・・。
また、記事の最後に
「より楽しめるような馬選びこそ正しいと言えるのでは。」(キリッ!)
と最もらしく結んでいますが、今振り返ってみて、アイリッシュギフトに出資した1年はストレスで「全然楽しくなかった」です。
結局は”走らない馬”に出資して楽しめるはずは無いのです。
またその他の要因として、牧場での調整が遅れたり、調教師の指示や見解も度々疑問でしたし、周囲がアイリッシュの気性をカバーすることが出来なかったことも挙げられます。
話を戻して、薄々アイリッシュギフトの気性難に気付きつつもなぜ出資に至ったのでしょう。
それは上の文中にもあるように『一目惚れ』してしまったからです。
確かに馬体は今見てもよく見えますし、その重要性は周知のことですが、そのせいで他の欠点・弱点に感づきながらもそれを無視してしまっているのです。
これは前回の記事で述べたように、根拠も無い自信で、冷静さを忘れて直感で馬を選んだ『メンタルの弱さ』を露呈する悪手であったと思います。
しかも、さらにタチの悪いことに上の記事でも
「冷静さを忘れて出資したかなと若干後ろめたい所はありますが」
と、メンタルの弱さを自覚しながら、それでも出資している点です。
ちなみに『直感で出資することは悪である』ことと、具体例として自分のアイリッシュギフトの出資がそれであることも既に過去の記事で触れています。
2013年9月
相馬眼・・・素人の「直感」に意味など無い
「直感」でアイリッシュギフトに出資してしまいました。
そろそろノルマンディーOCの2012年産馬の出資受付も開始される為、自分を戒める為に書いておこうと思います。
素人の「直感」は特に根拠の無い、単なる「勘」です。
そこに何の意味もありはしません。
「直感」と「勘」を履き違えた人は特に初心者に非常に多く、彼らは自分の知識や技術などのバックボーンが無いことを補っている『底なしの潜在能力』だと勘違いしています。
「直感」は平凡な自分に舞い降りた”神が与えたもうた力”ではありません。
・・・ここまでボロクソに直感について否定的に書いていますが、本当にそのままの結果となってしまいました(笑)
要するに、本当は悪手と知りながら、『一目惚れ』と『直感』で選んだことが失敗の原因でありそれが”メンタルの弱さ”だということです。
正に”恋は盲目”ですね。我ながら恐ろしい・・・。
そして、上の「直感は悪」の件についても、記事であそこまで述べておきながら、恐らく私の心のどこかに「自分だけは違う」という根拠の無い自信があったのかも知れません。
繰り返しますが、これも”メンタルの弱さ”です。
・・・ちなみに、「自分だけは違う」という心の弱さについて語った記事もあります。
2013年6月22日
「自分の能力は平均以下」と思う人の割合はわずか2% より引用
「人間は自分を過大評価している」
ということです。
投資ならまだしも、中期的、長期的にはほとんど全員が損をする競馬(馬券)においても
「周り全員が損をしていても、自分だけは違う。選ばれた人間だ。」と思ったりも・・・。ここまで来ると、もはやどうしようもありません。
「競馬(馬券)で鍛えた相馬眼で一口馬主に殴りこみ!(キリッ!)」
だとか、
「センスが常人とは違う。優れた洞察力や、投資の実績を活かせばすぐに結果は出る!(キリリ!!)」
こんな風に思う人は多いのではないでしょうか。
この記事の作成日に注目して頂きたいのですが、冒頭でアイリッシュギフトの出資に触れた記事のわずか4日後です(笑)
深層心理にいる、もう一人の私はこうなることを分かっていたのかも知れませんねw
ここまでを全てまとめると、事前に決めた『ルールを破った』ことが失敗の原因ということです。
ここまで戒める記事を書いておきながら、失敗をする・・・もう全てが堂々巡りというか未来が先で過去がやってくるような感覚です・・・。全てはお釈迦様の手のひら・・・仏の道に出家します・・・。(チーン、ポクポク)
その中で最もマイナスが大きく、回収率もゼロに近かったのがアイリッシュギフト。
屈腱炎での引退ではありますが、3歳8月の時点で最高着順が5着であり、そのままでもまず勝ち上がることは出来なかったでしょう。
アイリッシュギフト
募集価格:2400万円
本賞金:46万円
7戦0勝
中々の酷い成績です。
一口馬主は馬券購入のように大数の法則に収まる程、多くの回数を勝負することは出来ませんから、1度の失敗でそれが100%”悪手”であったと言い切ることは出来ません。
ですから、未勝利馬が生まれたからと言って、一々馬選びを変えたりなど、あまり敏感になる必要は無いと思っています。
しかし、アイリッシュギフトの場合は相馬眼以前の問題として、自分の中での『メンタルの弱さ』を露呈した一件であったと感じており、これは反省すべきことだと思います。
ここで言うメンタルというのは、熱くならず平常心で理路整然と一口馬主に臨めるかとか、慢心や決め付けを排除した柔軟で軽いフットワークだとか、総合的な精神力の強さのことで、一言で言うならば、『一口馬主に関係の無い万(よろず)に通じる心得やテクニック』のことです。(メンタルなのにテクニックとは紛らわしいですが。)
『メンタル』と言うと、大抵軽視される要素なのですが、実は投資における非常に重要な要素です。
特に株や為替など「上がるか下がるか」の二択しか無い、選択肢の少ない勝負においては”プロスペクト理論”に代表されるメンタル面の重要さが際立ちます。
”相馬眼”、”血統理論”など様々な知識やスキルがある一口馬主において
「メンタルで何の影響が有るというんだよ。」
と多くの人が思われるでしょうが、メンタルがスキル同様に重要であるという例を紹介します。
まずアイリッシュギフトがラインナップにいたノルマンディーOCの1期生は、全20頭。
20頭という限られた選択肢だと、その中で”走る馬”、いわゆる『当たり』を引けるか、その逆の『ハズレ』を引くか、素人と玄人で実はそんなに確率的な差はありません。
例えば、何も分からないド素人が、ノルマンディーの実質的トップである岡田牧雄さんが宣伝も兼ねて推薦馬として雑誌等で公言している馬を素直に選んだ場合、覚えている400口馬はイオラニ、マルーンドロップらとなり、この2頭は3歳8月時点の獲得賞金で全20頭中1位と4位であり、ランダムで選ぶより成績が良いのはもちろん、ほぼ最良の選択となります。
仮にランダムで選んでも試行回数の少ない一口馬主においては運の要素が強く、素人が玄人を上回ることもままあります。
これはあくまで上手くいった例であり、全てのクラブを対象として試行回数が増えると、徐々にテクニックと知識の差が表面化して結果に現れますが、上記のように『選択肢の少ない勝負では素人と玄人で選ぶ馬に差は出ない』のです。
そして玄人程、これまでに得た知識や経験から一定のプライドや自信がある為、その事実を認めようとしません。
確かに全ての素人が上で紹介した『岡田牧雄チョイス』の選馬を行うわけではありませんが、他の一口馬主の知識を一切用いないやり方として、”人気馬順に出資”という方法を取れば、満口馬のラテラルアーク、アペルトゥーラ(6位と8位)となり、この場合もランダムで選出する以上の成績を上げています。(いずれも即満口ではないので出資可能。)
つまり、一口馬主の知識や経験がゼロであっても、”物事への冷静なアプローチ”が間違っていなければ、それなりの結果は出るということです。
冷静なアプローチの仕方、これが既述の『万に通じるテクニック』=メンタルのことであり、一口馬主においても、それがとても重要であるということです。
逆にメンタルの弱さというのは、冷静でない浮わついた精神状態や、薄っぺらさのことであり、例えば下手に血統や馬体を分かったと思い込んで、生真面目に真っ向勝負で馬選びをしても、付け焼き刃ではすぐに充分な結果は出ないでしょう。
もしくは根拠無き自信の下で、私のアイリッシュギフトのように、馬の立ち姿からビビっと来た直感や、思い入れのある血統からトキメキを感じ、恋にも似た感覚で出資するなど、こういった馬選びを私は「メンタル面で隙が有りすぎる」と個人的に思っています。
そうした方法で選んだ馬達の成績が、上記に挙げた方法にすら負けるのであれば、ランダムで適当に馬を選んだことと変わりませんから、現状、相馬に費やした時間や情熱が全く成果として反映されていないと言えるわけです。
(鍛錬自体が無駄という意味ではありません。)
もちろんこれは確率の話であり、一期一会の縁や思い入れから選ばれた馬が大成することもあるし、それらは時に美談となり我々の心に深く残るのも確かです。
だからこそ、自分もそうであると勘違いを招いてしまうのが美談の罪な所でもあるのですが…。
具体的なアイリッシュギフトの失敗談は次回に続きます。
続きはコチラ
その事件のまとめを紹介。
少なくとも5人のパソコンをハッキング(乗っ取り)をしてインターネット上に犯罪予告を書き込む。
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ハッキングされた4人が誤認逮捕される。IPアドレスを根拠とし、PCが遠隔操作されるなりすましの可能性が考慮されなかった。また、取り調べの中で「自分が犯人」と全面自白させたことも問題視された。
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その後、真犯人から弁護士やラジオ局に「自分が真犯人」と名乗る電子メールが届いた。。
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神奈川県警は誤認逮捕を認め謝罪した。その後も警察やメディアを煽るメールが真犯人を名乗るものから届いた。
・・・まず、ここまでは完全に警察側が後手後手に回っていて、犯人のサイバー犯罪技術に翻弄されているのが分かります。ここで、犯人が終了を宣言していれば、犯人側の”完全勝利”として、迷宮入りの完全犯罪が成立していたことでしょう。
しかし、警察が全く自分の犯罪に対応出来ていないことに気を良くしたのか、ここからパソコン上のみで犯行を行っていた犯人が、現実世界で物理的に接触を始めてしまいます。
2013年(平成25年)1月1日未明に、複数の報道機関や記者に「謹賀新年」のタイトルでメールが送付される。
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神奈川県の江の島で猫の首輪から記録媒体が見つかり防犯カメラの映像から片山被告が逮捕される。
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弁護士の執念により片山被告の保釈が決定。
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保釈後再び真犯人を名乗るメールが届く。
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東京都内の河川敷で、片山被告が何かを埋めているのを捜査員が確認。翌日、掘り起こしたところビニール袋に入ったスマートフォンを見つけ、そこからメールが発信されたことが判明。
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片山被告が一連の事件について「自分が真犯人だ」と認めたことを明らかにした。
・・・まず江の島の猫に首輪をつけ、それを防犯カメラに録画されるという失態。
そして二度目は保釈中に捜査員に犯行を目視されるという失態。
いずれもネットワーク上で巧みなサイバー犯罪を行っていた者とは思えぬ、小学生にも分かりそうな初歩的なミスの連続です。
片山被告はあくまでコンピュータのプロであって、犯罪のプロでは無いということです。
サイバー犯罪という片山被告の得意分野のみでの勝負ならば、警察に逮捕される証拠はつかませなかったはずですが、最後は警察の得意分野に自ら足を踏み入れ逮捕。
犯罪を勧める意図は一切ありませんが、何か勝負を挑む時には自分の得意分野のみで臨むべきだということです。
投資の手法も同じで、ファンダメンタル、テクニカル、デイトレ、スイング・・・そしてその中でもまた千差万別のトレード方法がありますが、誰しもが必ず得意とする方法と苦手とする方法があります。
よって、全ての局面で利益を上げ続けるのは不可能ということです。
(0.01秒速く相場の売買情報を得られる某世界的投資銀行のようにインチキくさい手法を使うと、ほぼ全営業日プラスにはなるようですが・・・。)
一口馬主における手法というのは上記と比べると限れてはいるものの、やはり何か得意とする分野を見つけるべきだと思います。
何か一つに長けたスペシャリストと、広く万遍なくこなすゼネラリスト。一般社会で企業の一員として勤めるならばどちらも必要な人材とは思いますが、一人で考え、一人で挑む一口馬主という舞台においては、やはりスペシャリストが強さを発揮するのでは無いでしょうか。
もちろん、投資で述べたのと同様、その分野に当てはまる名馬以外を当てることは不可能ですし、そもそも滅多にいない名馬に、出資か否かを自由に選べる機会そのものが少ないわけで、何かのスペシャリストになったとして結果が実を結ぶのが何年先になるのかも分かりません。
それでも、その日が来るまで粛々と相馬眼を鍛えていきたいですね。
「第六感」や「超感覚的知覚(ESP)」として知られる感覚は、予知、テレパシー、透視、霊感、勘などとしても扱われており、多くの人がなんとなく信じています。
科学的根拠がないために、集合的無意識によるシンクロニシティ(共時性「偶然の一致」)による説明や、量子論に基づく説明も試みられています。
最新研究によると、この第六感は存在しないといい、脳が情報処理をする時間がないときに感じる「勘違い」だといいます。
行われた実験では、参加者に同じ女性が写った微妙に異なる2枚の写真が見せられました。この写真の女性は、髪形や装飾品などが少しだけ変えられています。参加者は写真を、それぞれ1秒間の間隔を置いて1.5秒ずつ見せられました。
その後、参加者に2枚の写真の違いを質問し、9つの項目「イヤリング」「ネックレス」「眼鏡」「帽子」「口紅」「アイシャドウ」「アイライナー」「衣服」「髪」からその違いを選ばせました。
その結果、参加者は具体的にどの部分が変化しているのかを特定することはできませんでしたが、何かが変化していること自体は認識していました。またその変化を感覚的に感じると認識していることが分かりました。
五感で認識しているにも関わらず変化を特定しきれない場合、違和感として認識され、それらを第六感と感じているとメルボルン大学で心理学を専門としているハウ教授は指摘しています。
つまり第六感は五感の中にあるものということですね。
今回の実験でいうのなら『視覚』の情報が完全には処理できないものの、分かる範囲だけでも脳に伝えていたということで、理解は出来なくても何かしらのサインを『違和感』として感じ取る力を人間は備えているようです。
そういえば、チェルノブイリ原子力発電所の事故の当日も作業員達の多くが『違和感』を感じていたそうです。
これはもちろん”神の啓示”などではなく、実は『聴覚』、つまり耳で施設の機械から発せられる、普段とは違う微かな音もしくは振動を感じ取っていたとのこと。
恐らく計器の故障のような目で見てわかる数値の異常や、異音はしていなかったと思われ、作業員達は『違和感』を「自分の勘違いであろう」もしくは「大したことではないのだろう」と思い特に気に留めなかったのでしょう。
しかし、実際には異常を五感で感じていたというわけです。
人間が本来から持つ力というのは、時に科学を超えるのだな感心させられます。
これは以前に述べた『直感』の力に通じる部分があると思います。
私は 相馬眼・・・素人の「直感」に意味など無い
の記事の中で、「直感というものが有効なのは、その道の経験が豊富な熟練のみで、バックボーンの無い素人の直感は単なる『勘』である」と述べました。
上の原発の件でも、経験の浅い者や鈍感な者では気付かない微かな違いをベテラン達は感じ、疑問に思っていたわけで、『違和感』は『直感』とも言えます。
『違和感』は「(理屈は説明出来ないが)しっくりこない感じ」
『直感』は「(理屈は説明出来ないが)何かひらめきを感じる。」
であり、両者はかなり似ています。
相馬においても馬の良し悪しと言うのは、他人に理路整然と説明出来ることが全てでは無いということです。
細かい所で何かを見つけることが出来ても、他人はもちろん自分にも良く分からないことというのは、冒頭の実験の話を見ても確かにあるようですし、むしろ大切にしていかなければならない部分かも知れません。
なぜなら今は未熟が故に五感で処理しきれていない事であっても、これからトレーニングと経験を積んでいくことで、そこが『違和感』から『確かな実感』に変わる日が来るかも知れないからです。
ただし、以前に述べたように”個人的な好み”や”誤った経験則”など、上記と紛らわしい事は非常に多く、『真の相馬眼』を目指していたのが、実は何の意味も無い『勘違いの相馬眼』に育つ可能性は少なくありません。
経験は大切ですが、自分を高めていくには積極性だけではいけないということです。
時に脱線しないためにある程度醒めた理論的な説明など、現実的な見方も必要です。
つまり冷静と情熱を合わせ持つバランスが大切のようです。
彼らいわく「1等何億円の当選が何度も出ている縁起の良い売り場」だそうで、だからこそ何時間並んででもその場所で買うそうです。
理論的に考えて、宝くじはどの売り場で買っても当選確率は変わりません。当然のことです。
単に売り上げが多い売り場であるから、1等が出現した本数が高いに過ぎません。
仮にそうでなくても、全ては偶然です。
にも関わらず本気で当選確率が上がっていると信じている人も一定数いるようです。
数時間並んで買うなら、数時間アルバイトでもして購入枚数を増やした方がよっぽど当選確率も上がり合理的です。
もちろん、そんなことは承知の上で、「聖地巡礼」のような毎年恒例のイベントとして並ぶのに参加することが楽しいという人もいるでしょうし、全ては個人の自由です。
アメリカの研究では、宝くじの購入金額と年収は反比例するそうです。
つまり、貧乏な人ほど宝くじを買う金額が多いということです。
通常、金持ちの方が消費に掛ける金額も大きくなりますが、宝くじではそれが逆転するのです。
つまり貧乏な人ほど、「人生の一発逆転には宝くじしか無い」という思考に陥るために、購入金額が年収に見合わない高額になるということです。
宝くじとは資金の量もスキルも知識も全く関係の無い、『完全に運任せ』のフェアなゲームではありますが、その控除率は公営ギャンブルも真っ青の約50%。
100万円の売り上げから50万円しか配当しない、相当不利なゲームです。
一切の努力を放棄して、宝くじという『運任せ』のゲームに参加しているにも関わらず、売り場にはこだわって何時間並ぶ事もいとわない・・・。
その様子は、私には理解出来ませんが、宝くじの楽しみ方は「当たったら何をしよう。」と夢を見ることですから、購入者が少しの間、幸福感を味わい楽しめるのならば、それが一番なのかも知れません。
さて、競馬を知らない人間から「一口馬主は儲かるの?」と聞かれたら、皆様はどのように答えるでしょうか。
「ほとんど儲からないけど、たまに宝くじに当たるような確率で儲かる馬が出現する。」
こんな所では無いでしょうか。
一口馬主は知識・技術・資金・才能などなど、様々な努力や他の要因が成績に左右する投資ですから、『運任せ』の宝くじとは全く異なる物ですが、何億円も稼いだり、種牡馬入り出来るようなとんでも無い”当たり”の馬と出会うには、確かに”運”の要素が無いとは言えません。
(人生の全てに”運”は影響を与える物でありますが・・・)
中小の牧場の生産者達も地道な努力や研究を行いつつも、どこかでテイエムオペラオーのような、とんでも無い名馬が生まれないかと”運”に期待する所はあるでしょう。
もちろん、我々一口馬主も同じです。
私も一口馬主をやっていて、特に安い馬を見た時に、宝くじのような”運任せ”の神頼みな気持ちが芽生えてしまいます。
結局、宝くじを買う人と同じ心理ですね。
「周り全員がハズレを引いても、自分だけは違う。自分は選ばれた”運”がある。自分は”当たり”を引くはずだ。」
こんな風に思う所が心のどこかにあるのです。
こうした心の弱さは克服せねばなりません。
”運”を上げるために出来ることを粛々と実行してその”当たり”を引き寄せる確率を上げるべきです。
つまり結局は、相馬眼を鍛える他にやることはありません。
ただし、行列を作って宝くじ売り場に並ぶような『無駄な努力』に時間を費やし、間違った”オカルト相馬眼”にならないよう、常に冷静な感性を持つ意識をしていくことも必要です。